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2023.02.09

猫が登場する寓話「石の猫」と「招き猫」。幸せを呼び込む猫のお話

猫が登場する寓話「石の猫」と「招き猫」。幸せを呼び込む猫のお話

古今東西、世界には寓話と呼ばれるお話があります。
作者がはっきりとはしないものの、昔話や噂話として長く語り継がれてきたもので、古いものでは古代のエジプトやメソポタミアにルーツを持つものもあるそうです。
日本でもなじみ深いイソップ物語は、実は古代ローマ時代~ギリシャ時代に集められた寓話集なのです。
さて、世界に存在する寓話の中にも、もちろん猫が登場するお話もあります。
そんな猫が登場する寓話から、ヨーロッパに伝わる「石の猫」のお話と日本の「招き猫」のお話を今回はご紹介いたします。

猫が登場する寓話『石の猫』って知ってる?

ヨーロッパの寓話は、大人が子どもに言い聞かせるための「教え」や「教訓」が込められていることが多いそうです。
今回ご紹介する「石の猫」にも、とある教訓が込められているそうなのですが…皆さまはどんな教訓かを想像しながら、ぜひお読みください。

 

■『石の猫』のあらすじ

むかしむかし。ある神父さんが猫と暮らしていました。神父さんと猫はいつも一緒。もちろん、神父さんが仕事をするために教会に行くときも猫は一緒でした。

とはいえ猫ですから、神父さんが教会で人々に神様についてお話をしている間も猫は自由に動き回ります。
聖書を落としたり、お祈り中の人の足で爪とぎをしたり…。気ままに過ごす猫でしたが、さすがに見かねた神父さんは、猫にひも付きの首輪をつけて、祭壇に結んでおきました。お仕事中は自分のそばから離れないようにしたのです。
やがて、神父さんは高齢になり亡くなります。すぐに教会には新しい神父さんが派遣されましたが、新しい神父さんもすぐに猫と仲良くなりました。
先代の神父さんからの手紙で「説教中は猫の首輪のひもは、祭壇に結んでおくように」と書いてあったので、同じように猫と一緒に教会に行き、指示されたとおりに猫を祭壇につないでおいたのでした。

時が経ち、2代目の神父さんも亡くなりました。このころには、猫も2代目になっていました。3代目にやってきた神父さんは、2代目の神父さんから「仕事中、猫は祭壇につないでおくものです」と指導されていたので、その教えを忠実に守りました。
このころになると、この街の教会には猫がいるのがすっかり当たり前になっていました。

 

4代目の神父さんは、少し悩みました。彼が教会にやってきたときには、すでに2代目の猫もすっかり高齢になり、あまり動かなくなってしまっていました。
そのためか、ある時から猫は教会に来なくなりました。
すると街の人々は「猫ちゃんはどうしたの?」「いつ来るんだい?」と神父さんを質問攻めにして、仕事が立ち行かなくなってしまいました。
そこで、「今日からこの子が代わりに出席します」と教会の猫そっくりに作った石の猫を神父さんの足元に置くようにしました。

5代目の神父さんは、この教会に派遣されて早々、足元で寝転ぶ猫の置物につまづいてしまいました。
仕事中はさすがに邪魔に感じたのか、石の猫をキリスト様が掲げられている祭壇の上に置きました。
すると、徐々に石の猫は"聖なる猫"と呼ばれるようになり、「撫でると病気が良くなる」なんて噂がまことしやかにささやかれるようになりました。

6代目の神父さんがやってくる頃には、聖なる猫を撫でたり、聖なる猫に祈りを捧げるために長蛇の列ができるほどになっていました。
すっかり神聖な存在となった石の猫ですが、今では「なぜ聖なる猫と呼ばれるようになったのか」を知る人はほとんどいません。

このお話の教訓について

実はこの話、「人は、由来も良く分からない迷信などを信じることが多い」という教訓が込められている…というのが一般的な解釈。
実際、このお話の中では、結局石の猫は崇拝の対象となっていますが、「由来」は無視されています。今でも私たちの間に残っている迷信などに近いものかもしれませんね。猫が顔を洗うと雨が降る、なんて有名な話もその由来を知っているのはごくごく少数だと思います。

でも、私たちにはちょっと違う部分が気になりませんか?

「猫を信仰するなんて、素晴らしい!」「眠っている猫の石像を撫でてみたい!」「本当に元気が出てきそう!」そう思われる方も多いはず。
そして何より、石でできた聖なる猫のおかげでたくさんの人が教会を訪れるようになり、街もきっと賑わいを見せたはず。
石の猫の存在は、街の人々に大きく貢献したはずなのです。(猫好きとしてはそう信じます)

今後猫好きが増えていけば「石の猫」は「よく分からない迷信」ではなく、"石の猫も信じて撫でればありがたい存在になる"というような、希望にあふれた象徴に代わる…かも。

いたずらっ子の猫がいつの間にか人々の信仰を集めるありがたい存在になっていく過程は、少し不思議で面白くもありますよね。

猫と信仰のお話『招き猫』

さて、このお話と同じような成立をたどった猫の信仰が日本国内にもあります。それが、皆様おなじみの「招き猫」です。招き猫の始まりのお話は、いくつかパターンがあるのですが、その中の一つをご紹介いたしましょう。

■『招き猫』のあらすじ

江戸時代、浅草に住んでいたおばあさんが食うに困って、一緒に暮らしていた猫を手放すことになりました。しかしおばあさんは猫が恋しくてたまりません。
ある晩、夢枕にその猫が現れてこう言います。「自分の姿を人形にしたらきっと良いことがありますよ」と。

翌日、おばあさんは一緒に暮らしていた猫の姿の人形をいくつか焼き物にしました。
それをみていた浅草神社(三社様)鳥居横の商売人が「いい出来だね、それを売ってみたらどうだい」と言います。商人に促されるまま、出店に出すと大人気であっという間に売れてしまいました。
そして、いつの間にやら「右手を挙げている猫は金運を招き、左手を挙げている猫は人(客)を招く」という噂が流れはじめ、おばあさんは招き猫職人として意図せぬ形で大金持ちになったそうな…。

今では、招き猫は福を呼ぶ縁起物としておなじみですが、もともとは猫と離れることになったおばあさんが作り始めたことは、もうほとんど知られていません。

 

「右手を挙げている猫は金運を招き、左手を挙げている猫は人(客)を招く」ということはよく知られていますが、そういえば、招き猫がどうして生まれたかについては、あまり語られることはありませんよね。
招き猫と言えば、ありがたいもの…ということはすっかり当たり前になっていますが、その過程が見落とされがちなのは日本もヨーロッパも共通しているのかもしれません。

ともあれ、石の猫と同じようにたくさんの人を招いたことは共通しているように思えます。

猫がもたらしてくれる幸せの大きさはさまざまです。きっと、皆さまに寄り添ってくれる猫たちもたくさんの幸せを運んできてくれているはず。多くの人たちにその由来を知られることはなくても、猫たちはみんな『招き猫』『石の猫』と同じ、幸せを運ぶ存在と言えるのかもしれません。

おわりに

猫と一緒に暮らしていると猫はたくさんの幸せを運んできてくれます。それは、かつてはネズミや害虫を退治してくれることだったり、家族の笑顔を増やしてくれることだったり。

今回は2つのお話をご紹介しましたが、共通しているキーワードに「猫がいる幸せ」があるように感じられてなりません。
教会に通っていた街の人々は、高齢になった猫が教会に来なくなったことで、猫を恋しく思ったでしょうし、招き猫を作ったおばあさんも、離れ離れになってしまった猫を恋しく思って人形を作り始めました。
離れてしまってもなお、たくさんの幸せをもたらしてくれる猫たちは、本当に素晴らしくて愛おしいです。